今朝の千倉海岸は、午前7時を過ぎてもこんな感じで太陽を見られず。 小雨がパラついていました。 |
連日、「食材メニューの表示偽装問題」というのが報道されています。
それも、歴史が長く、多くの顧客から信頼されてきた、百貨店やホテルの飲食店メニューが舞台。
フェイスブックで、私のお友達になっているかたが、リンクしていた投稿は、とても興味深いものでした。
北海道の、ある地域で中華料理店を営む中国人の店主が、店内に張り紙をしていて。
その店のメニュー内にある
「芝エビは、バナメイエビ」、
「大正エビは、ブラックタイガー」、だと張り紙内で告白。
そして、そのように記載することは、日本に来た時に「習ったこと」だから、と釈明していました。
教える人がいれば、習う人がいます。
習った人は、教えられたことをもとにして、また別な人に教える人になるかもしれません。
今朝は、こんな最近のニュースの話題を思い浮かべながら、朝焼けの海岸でホットドリンクをいただいていました。
それで、思い出しました。
来年、私は、ゲルソン療法を人に教え始めてから10年目の年になります。
10年間、信頼して下さったがんの患者さんやそのご家族の人たちとともに、ゲルソン療法の真価をを、ジャーナリストとしても取材してきました。
人に教えることを決心した10年ほど前、私はまだ自分自身が人に何かを教えるのには不備だらけだったというのに、なぜだか、「私の次に教えられるようになる人を、将来どうやって育ててゆけばよいか、同時に考えてゆく必要があるな」、と思っていました。
10年の歳月の間、ときどき、この思いが、脳裏から脳の前面に「スッ」と出てくることがありました。
それは、「今、これを自分に許したら、患者さんにウソのゲルソン療法を教えることになりはしないだろうか?」、「そんなことをしたら、私の次の人に、そのウソをごまかして指導をしなければならない」。
そういう状況に置かれた時でした。
ですから、昨年、私の次の人、ゲルソンHSTの村上国瑛さんをトレーニングさせていただいたときには、本当に、自分が試されているような緊張の連続でした。
無事に、村上さんは、私よりももっともっと、真実を強く愛するトレーナーになられました。
これまで、まだまだ修行、経験を積むこと、もっと学習と研究を重ねること、一人ひとりの患者さんと丁寧に時間を過ごすこと…。
そう思い、そうすることだけに専念してきました。
これは、きっとこの後もずっと変わることはありません。
変えたくないなぁ。
ただ、これまでの10年間でわが身に起こったこと、つまり、ゲルソン療法に関わったために、経験することになった出来事を書き綴ってみようかなと、考えているところでした。
それを、今朝、思い出しました。
「氏家さんは、どうしてゲルソン療法を教えることになったのですか?」と、ワークショップでよく質問されるのですが、一言では説明できず、その部分はあまり丁寧には語ってこなかったことでした。
「偽装」。
ゲルソン療法の長い歴史にとって、じつは、これは一つのキーワードです。
やはり、そろそろ明らかにするべきときなのかもしれません。
「偽装される」ということは、裏を返せば、それだけ本物だということであり、多くの人が得たくてもなかなか得られない、と思っているからなのでしょう。
ですが、ゲルソン療法に関して言えば、本物はシンプルで、さわやかなものです。
得ようとすれば、すぐに得られる。
いえいえ、すでに自分の身に備わっているものなのです。
手順に素直に従えば、誰の身体にも備わっているメカニズムを発動させることができるもので、その手順を根気よく探して見つけたのが、Dr.ゲルソンでした。
偽装されたものに甘んじることなく、真のゲルソン療法を見出して、元気に蘇ってきたかたたちの経験談を、皆さんとご一緒に聞く機会も、そろそろ作っていきたいと考えています。
12月には、その最初の講演会を東京(八重洲)、千葉(千倉)で開催します。
スケジュールは、こちらです。
http://gerson-jp.jimdo.com/
米国ゲルソン・インスティテュートでは、治った経験者から話を聞くとき、それを「testimony」と表現しています。
これは、「宣誓証言」、「証言」、「証拠」、「証し」などという訳語が当てられます。
神に誓って、というほどの真剣な証言です。
ゲルソン療法の場合は、何に誓うのかな…?
ゲルソン先生に?
自然の摂理に?
自分自身に…?
書店に行くと、‘厳格なゲルソン療法体験記’、と表紙に印刷された図書が並んでいたりします。
これもまた、どなたかに習ったから、そう書いたのでしょうか…。
我が家にも一冊購入しましたが、残念ながら、の内容です。
今日もまた、相変わらず、本当のゲルソン療法をお伝えしたい気持ちでいっぱいな私です。