作家の柳美里さんが、以前、インタヴュー記事のなかで話していた言葉に、つぎのようなものがありました。
‘今、みんな、誰かを謝らせたいんですね’ (2008年3月22日の雑誌『婦人公論』)
ちょっと立ち読みしただけの記事にあった、グサリとくる一文。
身に覚えあり、でした。
だから3年以上経った今でも、忘れずにいます。
周囲に‘謝れ’ビーム!を出している人が現れたときにも、やはりこの記事のことを思い出しています。
今日も、突然、思い出しちゃった。
このとき、どうしてこの雑誌を手に取ったのか、と考えていたら、同じ号に柳原和子さんのインタヴューが掲載されていたことがわかり、また別なことを思い出してしまいました。
こちらが今日の本題。
柳原和子さんは自らのがん診断を機に、医療サイドからではなく、一患者の立場から、がんとどう向き合うべきかを考え、探求し、そのプロセスを2000年に『がん患者学』としてまとめたノンフィクション作家。
この作品は話題作となり、シリーズ化されて、『がん患者学Ⅲ』まで続きました。
当時の私も、柳原さんが発する言葉、書く一字一句がとても気になっていた一人です。
その後、いろいろな経緯があり、2002年6月に『がん生還者たち』を出版された柳原さん。
私は、ちょうど、フリーランスのジャーナリストとして歩んでいくのを決めた頃で、その後出版する予定が決まっていた、『【決定版】ゲルソンがん食事療法』の翻訳作業中だったと思います。
『がん生還者たち』の中には、メキシコのティファナで柳原さんが自ら‘ゲルソン療法’を取材し、執筆した章が入っていたので、早速購入して読みました。
実際、柳原さんがこの本でレポートしたものはゲルソン療法ではありませんでしたが、ご本人はそのことにまったく気がついていない様子で、別の病院で見たこと聞いたことを誠実な気持ちで書いていらっしゃいました。
それで、柳原さんのその後の取材やインタヴュー記事も、自然と気になっていたのです。
本当の現場を知る者としては複雑な心境でしたが、私の方にも、当時は、ゲルソン療法を語るだけの知識と経験がありませんでした。
いろいろな誤解や間違いというのは、歴史の中で積み重なっているものだと思います。
人によって真実というものは違っているのかもしれない、と思うこともあります。
それにしても、その後、ゲルソン療法と深く関わることになった私は、この療法の上に積み重なっている遺物の多さに驚ろいています。
なかには、意図的に積み上げられた虚構もあります。
その方が、多いのかもしれません。
Dr.マックス・ゲルソンのお孫さん、ハワード・ストラウスさんは、そのような虚構は放っておけばいいんだよ、「神様のご意志のままに」、と話していました。
現在、夫が、ハワードさんが書いたDr.マックス・ゲルソンの伝記を翻訳していますが、それを読むと納得します。
ゲルソン医師は、その生涯のうちに、‘もうこれで最後!’というような命の危機に何度も直面しているのですが、そのたびに奇跡的に救われているのです。
ナチス政権によるユダヤ人の強制収容政策が始まった日の早朝、ユダヤ系ドイツ人の彼は、ドイツからオーストリアへ向かう夜行列車内にいました。
オーストリアに入る国境で止まった列車。
乗客一人一人に浴びせられる質問。
ユダヤ系の血筋を持つ人たちは、訳もわからぬうちに、列車の外に連行されていきました。
ゲルソン医師が助かったのは、たまたまその時の質問の内容が、「おまえはユダヤ人か?」というものではなく、「おまえは何をしにオーストリアへ行くのだ?」、だったから。
日本にゲルソン療法を紹介した、今は亡き、今村光一先生が翻訳した『マックス・ゲルソン ガン食事療法全書』は、ゲルソン医師自身が書き残した著作ですが、彼が英語で最初に書き上げた原稿は、ゲルソン療法が世に知られることを恐れた人々によって盗まれ、闇に葬られました。
パソコンなど無い時代、ゲルソン医師はすべてをもう一度書き直しました。
それもまた盗まれたのです。
そして、その後に書き上げた原稿がようやく出版され、今、私たちは日本語でも自由に読むことができています。
そのような奇跡の連続があったから、今、私たちは‘ゲルソン’の名とともに、彼の治療法を知ることができています。この一冊で命が救われた、という人は、世界中にたくさんいらっしゃることでしょう。
私の仕事は、積み重なった誤解や間違いを一つずつ時間をかけて取り除き、真実の底に少しずつ降りて行くような発掘作業、なのかなぁと思っています。
掘り出して見えた真実を、その美しさに感動できる方たちとともに分かち合いたい。
この作業も、もうすぐ8年目に入ろうとしています。
自分の足もとや、思いがけない場所に、驚くほど‘美しい真実’が眠っているかもしれないと思うと、発掘作業はわくわくします。
Beautiful Truth !